ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」展示編1

概要編に引き続き展示編です。
ウィーン美術史美術館所蔵
「静物画の秘密展」
2008年7月2日(水)〜9月15日(月祝)
国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2008/Wien/index.html


<ネーデルランドの画家に貴族「春(愛)」>

展覧会会場に入るとまず、ウィーン美術史美術館の巨大写真
パネルがお出迎えしてくれます。パネルの両脇にはおそらくは
静物画の花の絵をおおいに意識したであろう造化がしつらえ
られてました。


<巨大パネルと花>

シュッツ氏は会場内の4つの絵についてミニ解説をしてくれました。
せっかくなので、シュッツ氏から聞くことが出来たお話と図録から
の知識で少しその絵について説明、私なりの感想を描きました。

最初の絵は
アントニオ・デ・ペレダ作「静物:虚栄<ヴァニタス>」。

この時代の人々は命の儚さ、うつろいやすさを静物画の中に
取り入れるようになります。絵の中にそれらをうまく象徴する
モチーフを書き込むことによって意味をもたせたのでした。

中央にいる天使は左手にハプスブルク家の皇帝カール5世
のカメオ、右手には地球儀を指差し彼が世界を支配している
かのようなポーズをとっています。その前、画面右手には夫人
達の肖像、コイン財宝など、「富」と「繁栄」を示す物が描かれます。
ですが画面左手に目を移すと、一転してそこには「死」と「終わり」
を象徴する髑髏、砂時計、消えたロウソク、銃が描かれています。
画面全体を通して「どのような栄華も繁栄も結局すべては
むなしい」というメッセージを持たせているのです。
画面中央下のテーブルにはラテン語でそれを象徴すべく
「NIL OMNE(すべては空)」と記されていました。
この絵はカール5世の死後に描かれていて、繁栄に陰りが見え
始めたハプスブルク家を通してヴァニタスを表したのでしょう。


<作品について解説をするシュッツ氏>

現代の視点から見ると、その画面はひどく説明的な感じが
します。ですが、当時この手の絵が流行したという所をみると
当時としてはむしろ新しかったのでしょう。そこには暗示的な
要素と同時にどこか風刺的な意味合も含められています。
現代のように活字やテレビ、本やマニュアル、インターネット
が蔓延していない時代。新聞などは出始めていましたが、
まだ絵画は一つのメディアとしての力も強く担っている
部分が大きかったのではないでしょうか。それゆえくみ取り
やすさ、説明的である事が絵によってはむしろ求められた
とも言えるのかもしれません。
死が常に近くにあった時代、人々はまじめに画面を受け止める
反面そこにある種の面白みも感じていたのではないでしょうか。

続いての絵は
ヤン・ブリューゲル(父)作「青い花瓶の花束」。

花を描くことは静物画の中でやがて独立した絵画のテーマ
となりました。その中でも傑作と言われる1点です。この絵の
中には140本もの花が描かれているそうです。一点一点の
花は忠実に描かれているのですが、その組み合わせは架空
のものです。チューリップ、バラなど季節の違う花々がまるで
空中に浮かぶように豪華絢爛に描かれています。そして
床の上には騙し絵の技法でてんとう虫やコオロギ、蠅、
ヘーゼルナッツ、落ちた花々が描かれています。
ここでも落ちた花々は死すべき物の儚さを表しています。
花瓶は明の時代の中国の陶器でこれは当時の流行の
組み合わせだったようです。

知識の浅い私にとってそれまで静物画の花といえば
「忠実に写生したもの」という画一的なイメージでしかありません
でした。本物以上に華やかに描かれたブリューゲルの絵は
いろいろな意味で私の固定概念を崩しました。彼はデザインと
構成力にも優れた作家だったのでしょう。リアリティの中の虚。
これもまた一種の虚栄を表しているのかもしれません。
同時に騙し絵技法で昆虫などを描いたり現実にはあり得ない
組み合わせをダイナミックに美しい色彩で表現するなど見る側
にアミューズメント的楽しみを与えています。そういう意味で
この絵全体が一種のだまし絵と言えるかもしれません。
この絵は展覧会の中で一番好きな絵でした。
本物が放つ色彩の美は一見に値します。


<大きく迫力のある絵がならぶ会場>
 
ではラストパート展示編2へつづく!

ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」概要編

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ウィーン美術史美術館所蔵
「静物画の秘密展」
2008年7月2日(水)〜9月15日(月祝)
国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2008/Wien/index.html


<ファルケンボルフ工房「花市場:春」>

ウィーン美術史美術館・・・
ヨーロッパ有数の貴族として栄華を誇ったハプスブルク家のコレクション
を収集している世界屈指の美術館。
本展はその美術館から静物画だけに焦点をあてた展覧会です。
ありがたいことに国立新美術館にて開催される展覧会のプレビューに
参加する機会をいただきました。


<黒川紀章作国立新美術館>

監修にあたられた立教大学教授の木島俊介先生のお話によれば、未だ
かつて日本において静物画そのものだけに着目点を置いた展覧会は
開催されたことがなく、また書物もないとのことで、今回これだけの作品
が一同に介したことは画期的であり且つ大変歴史的な事なのだそうです。
つまり今回の図録は専門書としても貴重な書物になるであろうと
木島先生はおっしゃっていました。
(余談ですが木島先生監修の「美しき時とう書の世界」という本をかねて
より大切に持っているので生木島先生に会えたことで密かにテンションが
上がりました。でもお声をかける勇気がなかった・・・)

実は現地に行くまで、少々こころの中に不安要因をかかえておりました。
何故かといいますと、私個人の「静物画」というもののイメージは非常に
貧困で画一的なものだったからです。正に「見たものをそのまま写生
する、美術の時間によく描かされたあの絵」。テーブルの上に果物と
花瓶・・そこにそれ以上の広がりはなく、絵を描くものの立場からする
と果たしてこちらのイマジネーションを刺激してくれる要素がある
のか・・・。
もちろん素晴らしい絵画に相違ないのはわかりきっているのですが、
どうも「静物画」という言葉自体のイメージの刷り込みが「たいくつ」を
匂わせるネガティブな印象になっていたような気がします。


<コルネーリス・デ・ヘーム「朝食図」>
(この作品の中にも医学的な教えが秘められています)

ですが、実際行って解説を聞きつつ、そこに描き込まれた意味や
作品背景などを知り、じっくりと観る目をもって堪能した今、私の中
で「静物画」の概念は全くと言っていいほど変わったのでした。
「静物画」深かったです。
そしてちっとも見たままかいてませんでした。いや、もちろん見たまま
と思われる絵もありましたがそこには秘められたエッセンスが
ありました。自分の無知が悲しいです。ごめんね静物画


<挨拶するカール・シュッツ博士>

内覧に先立ってウィーン美術史美術館 館長ヴィルフリート・ザイペル氏、
続いて本展の監修に当たられた副館長のカール・シュッツ氏、立教大学
教授木島俊介氏の紹介とご挨拶がありました。

館長のザイペル氏によれば本展にはかなり傑作をもってきているので、
現在本家の方は少々間が抜けた状態になってしまっているとのことです。
ですがそうは言ってもハプスブルク家(その歴史は650年に亘る・・とは
wikipediaより)言うほどは「抜け」てないかと思われます。
なんでも日本人は来館者の14%を占めているのだそうで、
改めて日本人のアート好きを思い知らされた気がします。

副館長のシュッツ博士は静物画の成り立ちと、本展に於ける注目点に
ついてお話してくれました。
そもそも静物画(still-life)という言葉が登場したのは17世紀に入って
からだそうです。それ以前は宗教画や肖像画のなかに取り込まれていた
花瓶に生けられた花や、果物などが独立した絵画となり確立したのです。
当時としてはかなり新しいジャンルだったという訳です。


<レセプション会場も「静物画」を意識したような装飾がなされてました>

「still-life」
still→静かでとどまっている、動かない
life→自然に近いもの、できるだけ本物に近づけて表現しているという
意味からからできた言葉だそうです。
でも目に見えているものはすべてやがて朽ち果て衰える・・以下の
注目点からもわかるように当時の人々は人生の儚さ、移ろいやすさ
という意味をそこに込めたかったのではないでしょうか。
一方で、豪華な花や、食器類、果物、狩猟の獲物などを描かせる
ことによって己の富を誇張してみせた。これまた裏を返せば人間の
愚かさの現れでもあります。

シュッツ博士がお勧めする注目点は2点
1) 画家達の表面そのものの描き分けを見て欲しい。
   魚の鱗、ガラス、銀食器、織物などそれぞれの違う質感を追求し
   見事に描き出されています。
2) 画面から伝わる様々な意味をくみ取って欲しい。
   例えば、果物や花はその移ろいやすさを表している。また時
   には宗教的概念を含んでいる場合もあり、自然を前にしたときの
   人間のちっぽけさなどが表現されています。

それらを念頭に静物画と向かうと一体どんなことが見えてくるのでしょうか。
テンションが高まった所で内覧会のスタートです。
というところで展覧会編へつづく。