目黒東西

途中まで書いておきながら、忙しくて完成できなかった
日記をアップ。一つは終了してしまいましたが、チェコアニメ
の方は今日までやってます。

3月29日二つの展覧会を見るために、目黒を東へ西へ。

まず最初は「アフルレッド・ウォリス展」を観るために
東京都庭園美術館へ。実はここに来るのは初めてです。
入り口にあるカフェレストランも初夏を思わせる桜満開の
陽気のせいか人でいっぱいです。敷地内の庭園も200円払えば
入れるらしく、お花見を楽しむ子供連れのママがいっぱい
きてました。

「アルフレッド・ウォリス」工房の友人にその存在を聞くまで
は実は知りませんでした。でもどうやらそれもそのはずで、
いままで本国イギリス含め大々的な個展をやったことは殆どなく
で今回日本でこのような大きな展覧会が催されることになった
こともイギリスで大きく報じられたのだそうです。
21歳年上の奥様をなくされてから、70歳にして絵を描き始め
たウォリス。もともとは漁師さんで、その絵の多くは海辺、舟、
すんでいた街の風景です。子供がそのまま大人になって絵を
描いたらこのように描くだろう、作風、構図は非常に素朴で、
独特の空気をはなってました。その画風は、やはり70代にして
絵を描き始めたアメリカの「グランマ・モーゼス」の絵と非常に
共通するものがあるように感じました。
彼女もまた農村で長く暮らし、彼女が暮らした村の様々なシーン、
風景を描き続けた素朴派の画家でした。
質素に、実直に、ぼくとつに、暮らしをを続けてきた彼らの人生が
その絵に反映されていて、それが人の心を魅了するのだろうなと
上海で見たやはり高齢の方達によって農村地帯で描かれている
素朴で温かい、農民画を思い出しながら思いました。
到底若輩者の我々にはゆきつけない世界がなせるひとつの
ジャンルですね。

さてそしてその後一路目黒を西へ、目黒区美術館でやっている
「チェコの絵本とアニメーションの世界展」へ。
こちらも道中の目黒川沿いの桜がみごとでした。
チェコアニメ初期からアヴァンギャルドと呼ばれる時代の作家
までかなり見応えのあるラインナップでした。
展示スペース各所に小さいビジョンが設置してあって、それぞれ
アニメーションが流れてました。絵本そのものも日本語に翻訳
されてるものは閲覧できるようになっていて、時間が山ほど
あればゆっくり堪能したい所でしたが、美術館掛け持ちゆえの
疲労と時間不足でここは手短にスルーしてしまいました。
予想外の素晴らしいギフトにであいました。
チェコ語表記の名前だったため、気付かなかったのですが、
大好きなピーター・シスの絵本の「三つの金の鍵」の原画が
3点も飾られていたのです。
私が想像していたよりも5倍くらい大きい原画で、かなり繊細
で細かい描写の美しい絵をこんなにも大きな画面で、いっさいの
手抜きなしで描いているその絵は私のこころをわしづかみに
したのでした。しばらくこの絵の前で立ち止まり続けました。
シスの絵の横、頭上でもビジョン(小さいテレビ)が設置され、
8分間の短いアルチンボルトへのオマージュ的シスの作品アニメ
が上映されていたのですが、これまた秀逸で一つ一つのカットを
全て絵にして飾りたいくらいの素晴らしさでした。

チェコアニメ・・・チェコ絵本・・可愛いだけじゃなく、
どこか毒気があったり、退廃的であったり、やたらに子供に
歩み寄ってなかったり・・・
でもそこが心を惹き付けるツボなんですよね。
日本程、「チェコ」をアニメや絵本で特別にひとくくりしてる
国って他にあるんだろうか・・・。ちょっと知りたい所です。


写真1 階段の踊り場から見える開花した桜

桜の季節が来ましたね。
今までは何となく過ごしてしまってましたが今年はちょっと
ちがいます。
この家での花見は今年が最後です。
老朽化のため夏には立て替えが決まってる私が住んでる
集合住宅(いわゆる団地です)
築48年にもなるこの団地は建物と建物の間の庭も広く、
区指定の古木がたくさんあります。ケヤキ等は4階建ての
建物を超える大樹に成長し、数本ある桜も立派な老木です。


写真2 強風のせい?か落ちてしまった桜を飾りました

ちょうど家の裏手に数本桜があるのですが、どれも古い種の
山桜という品種で、花と桜が一緒に出てくるタイプのものです。
ピンクというよりは白い花弁。ここ数日で一気に咲き始め
ました。


写真3 家の窓枠から見える桜

団地の3階、4階の踊り場から見る風景は目前がまるで
桜の花畑のようです。私有地なので、宴会等する人もなく
静かに鑑賞できていい感じです。
もっと室内の事情が許せば、友人等を呼んでお花見でも
したいところでしたがそれはちょっと無理なのが残念です。

あと数ヶ月もすれば、ここは全て更地になって、古木も
すべて切り倒され、高級マンションがその後建てられること
になってます。
この緑や大樹は一朝一夕で作れるものではないし、何物
にも代え難い財産だと思うのですが・・・私利私欲の前
ではなんの利益も生み出さない樹木なんてじゃまなもの
なんですかね・・・。日本人の美意識はどこへ?
在東京外国人の東京への不満の上位に緑の少なさがあるそうです。
たしかに世界の都市の中でもワーストに入るでしょうね、

温暖化が騒がれてる今、ある程度の大樹はできる限り
残す様な法律でも作るべきなんじゃないかと思わずに
いられません。
このような大樹がどれ程CO2を吸収してることか・・・。

ちなみに隣の敷地は、同じ位、古い外国人居住区の高級住宅
で、こちらも芝生の庭と古木と緑の溢れる場所ですが、
かなりの額で不動産屋が買い取ったとか。こちらも全て
更地になって高級マンションが建つのだそうです。
なんだかなぁ・・ここはたしかに都心だし、場所は
かなりいいですが、それもこの自然があってのことだと
思うんですが、そういう美的感覚、建築業者にはきっと
ないんでしょうね。

ビアトリクスポターみたいな存在だったら買い取って、
ナショナルトラストばりに保護できるんでしょうけれど、
もちろんそんな財力もなく・・かといって宝くじ当たっても
100回以上、いや200回以上?一等賞とらないと買い取れ
ない額なんでもうどうにもならないですね・・・。

京都




先週末京都に旅行に行きました。
2月の京都はやっぱり寒かったです。午後3時過ぎ位から
ぐっと冷え始め4時頃にはすっかり底冷えです。
でもそのお陰か観光客は本当に少なくて、どこへ行っても
ゆったりできて、じっくり観れるというある意味、穴場的
シーズンでした。

丁度、京都国立博物館で新春特別展「京都御所障壁画」が開催
されていたので観に行きました。金曜夜は8時までということ
で遅い時間に行ったらば、予想に反してかなりのすき具合で
本当にゆっくりみれました。展示されていたのは京都御所の
襖絵、約220面。障壁画が描かれて完成して以来、152年目の
一挙公開なのだそうです。どれもこれも見応えある作品ばかり
でした。狩野派、丸山派、横山派などの作家たちが腕を競う
その作品は派によって構図、画風が違っているので興味深かった
です。天皇の玉座の後ろに描かれていた鳳凰鳥の襖絵などは色々
な歴史を観てきたのだなと思うだけでずしりと重みを感じました。
おしむらくは照明がいまいちだったという点です。暗めの白い
蛍光灯の光は作品の色調を沈めてしまい、施された多種多様の
金箔の様などを殺してしまってました。チラシ用に写真がとら
れた鳳凰鳥の作品もその蛍光灯の元で観るとチラシの絵と同じ
絵かと見紛う程の色味が沈んでしまってました。ブライス
コレクションのときのように白熱灯のもと左から右へライトを
あてたらおそらく非常に美しく映える絵ばかりだったであろう
と思うとすこし残念でした。

京都に行った日は節分前日だったのですが、タクシーの運転手
さん3人に「吉田神社へいきなはれ」と言われました。なんでも
京都で節分といえば吉田神社にきまってるのだそうです。地元の
人間ならみんな吉田神社に行くそうです。これは行かねば。
と夜も8時過ぎ、いざ吉田神社参道へ到着です。どうやら見応え
あるのは吉田神社だけじゃないようで延々と続く縁日の屋台・・・
こんなに屋台が並んでいるのを始めてみました。
関西地方の屋台は東京のとはひと味ちがいます。

はじめてみたもの「ベーコンエッグたいやき」なんどっしゃろ?
普通のたいやき機の中にベーコンと卵をいれて焼いてます。
おいしいんやろか?それ。と思うのは関東人だけじゃないらしく
売れてる気配なしでした。
九州からも出店してます「ばりうまやで!」とかかれた焼き鳥
の店はサイズが通常の3倍クラス、焼き豚もうってました。
これは思わずお持ち帰りしました。が、正直「ばりうま」という
程ではなかったです。
それからさすが世界の観光地京都ならではのインターナショナル
テキ屋さんもいました。トルコチームのケバブ班の皆さんは
数店舗出店。インドチームも本格カレーとナン屋台で応戦。
韓国チームの皆さんも負けてません。
京都ではキューピーのたらこマヨキャラクターが流行ってるのか
思いっきりバッタもんのぬいぐるみがあちこちで売られてました。
関西ゆえに、お好み焼き屋台もバリエーション豊かです。
ミニお好み焼き、箸巻きお好み焼き、などあまり東京ではみられ
ない形状のものが売られています。どうやら「箸巻き」は流行っ
ているようであちこちで色々なものが箸で巻かれていました。
王道金魚すくいの屋台もありますが、何故か人気なし。
確かにこの寒さの中、じっくり座って金魚すくってる場合では
ないかも知れません。覗いてみるとあまりの寒さに、金魚の
皆さんもほとんど動きません。中には完全にこと切れてる金魚
さんもちらほらいます。すくう方にとっても、すくわれる方
にとっても過酷な季節です。
旧暦の大晦日に当たるこの日はあちこちで年越しそば屋台も
出店してました。
という訳で、どんなに歩いても神社にたどり着けず、延々と
続く屋台。かじかむ手足。「神社はどこだー」と不安になり
かけたころ、やっと大きな鳥居が見えました。これでやっと
豆まきが観れる。と思ったのもつかの間、信じられない事に
さらにここから延々と続く屋台。さらに道細くテキ屋の
おしくらまんじゅう状態です。
いいんでしょうか・・・境内にここまでぎっしり屋台つく
って・・。こういうお約束なのか無法地帯なのか、謎です。

その後さらに、テキ屋まみれの砂利道をかなり上ってやっと
本堂に到着しました。まずはお賽銭をしてさぁ豆まき・・・
と思ったら全く豆がまかれてる気配はありません。不安になって
きいてみると「豆はまきまへんのえ」みたいな事をおっしゃる。
どうやら厄払いした豆をここで買って食べるのが目的のようです。
盛大な豆まきを想像してたので少々期待はずれでしたが、おとな
しく抽選くじ付き豆を買いました。これで下山かと思ったら
さらに日本一の霊場へ続く道があります。ここ吉田神社は節分
の日に日本全国から神様が集まってくるのです。
日本一の霊場・・・ネーミングが少々怖いですが、神様が集まる
のですから素晴らしい場所に違いありません。勇気を振り絞って
行ってみる事にしました。そんな場所への厳かな道にもびっしり
屋台が・・・すごすぎる・・・バチは当たらないんでしょうか?
このような聖地にびっしり屋台。神様もびっくりです。この浸食
度は恐らく東京ではあり得ないのではと京都の人々の懐の深さに
ある意味感心してしまいました。
いや意外に結構な場所代払ってるのかもしれません。
何事も商売なんでしょうか・・・。
霊場には1500年頃に建てられたお堂がありました。厳かな
雰囲気の建物です。もちろんここでもお賽銭をします。そして
本堂の前に立てられた棒をさわります。これが厄払いになる
そうなのです。
さらに道はお堂の裏に続きます。ご神木の両脇にまた小さなお堂
ここもお賽銭スポットです。ふと何度もお賽銭してることに
気付きました。なかなかのシステムです。
きっと私にも何か素晴らしいご利益があるに違いありません。

翌日の2月3日には全国の神様が集まってくるのです、
つまり日本中の神社は神様がいない空っぽの状態になるそう
なのです。
知りませんでした・・・だってこの日は節分で、全国各地の
神社で豆まきなどが行われ、人々が集まってくるのですから、
そして皆さんお賽銭をして神様に願い事をするのですから・・・
まさか神様がいないなんて殆どの人が知らないと思います。
神様、お願いごと聞いてないよ・・・。
これは吉田神社のみの言い分なのか。それとも神社界公然の秘密
なのか・・・ならば本当なら3日に我々も来るべきでしたね。
という恐ろしい落ちつきで吉田神社を後にしたのでした。

写真1は人気のない冬の哲学の道
写真2は貸し切り状態の禅の庭、永観堂
写真3ヨーロッパのような南禅寺の水路