「若冲展」京都で奇跡を観た 展示編


<伊藤若冲《菊花流水図》〈動植綵絵30幅の内〉/宮内庁三の丸尚蔵館蔵>
<ブライス氏もっともお気に入りの一点>

若冲画との対面からはや4日が過ぎようとしてますが、もう心は再会しいたい気持ちにこがれています。

今日は展示について触れてみたいと思います。
我々、ブロガー先行プレビュー隊?が最初に案内されたのは、釈迦三尊像と動植綵絵が飾られている第二展示室でした。部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、包み込む空気が変わりました。

若冲が導く「異界」入口にやってきたのです。そしてそこには33の「異界の窓」が開かれていたのでした。釈迦三尊像を中心にシンメトリーに並んだ動植綵絵。その並び順も完全に対を成すように考えられたものでした。若冲は最初からそう意図して作品を作ったのでしょうか・・・「動植綵絵」について、若冲が最初から30幅という計画の元に制作を始めたのかどうかはわかってないのだそうです。


<「群魚図」(蛸)から動植綵絵は始まります>

会場右手から順路に従ってに観て行くとまず最初の動植綵絵、親子のタコなどが描かれた「群魚図」(蛸)が目に入ります。つまりこれは釈迦三尊像を中心にシンメトリーに飾られた右側15番目の絵となる訳で、翻って左側15番目の作品を観てみるとそこには「群魚図」(鯛)が飾られています。できれば釈迦三尊像を起点に左右順に観て行ければ興味も更に深まるかと思います。が、残念ながら今回は順路を考えるとそのような贅沢な観方はできないかと思います。私もそのようは観方はできなかったのですが、せめて並び順等を心に留め置いてみていかれると良いと思います。


<伊藤若冲《普賢菩薩像》/相国寺蔵>


<伊藤若冲《老松白鳳図》〈動植綵絵30幅の内〉/宮内庁三の丸尚蔵館蔵>

釈迦三尊像最初の両脇を固める絵としてまず選ばれたのは、鳥の中の王である作品、右に「老松孔雀図」左に「老松鳳凰図」。どちらも神々しさをはなち王の風格と気韻を漂わせています。更にそのとなり第二の絵としては右に「芍薬群蝶図」左に「牡丹小禽図」。
相国寺承天閣美術館学芸員の村田隆志さんによれば「牡丹」は花の中の王様と考えられ、さらにはおめでたい花なのだそうです。そして「芍薬」(しゃくやく)は花の中の相国すなわち宰相(総理大臣)なのだそうです。芍薬と共に描かれている「蝶」は文人やお坊さんを表しているそうです。これら観点から釈迦三尊像を囲む絵の並び順を決めて行かれたそうで、それらは完璧に矛盾なく最初から決められていた順のように毅然と並んでいるのでした。

<釈迦三尊像を囲む動植綵絵>

そもそも伊藤若冲は自分と両親の永代供養をして欲しいと申し出て、釈迦三尊像と動植綵絵を相国寺に寄進したのだそうです。そこには両親に対して、家業を継ぐことを放棄した懺悔の心がみてとれます。ところが明治時代、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によってお寺が存続の危機に立たされ、相国寺は断腸の思いで「動植綵絵」を皇室に献納します。その見返りとしていただいた1万円でお寺は無事守られたのだそうです。相国寺に行かれると分かりますが、入口から本堂まで広い敷地が広がります。言ってみれば若冲が相国寺を守ったと言っても過言ではなく、今でもお寺では毎朝若冲の名を唱えているのだそうです。その絵が120年ぶりに戻ってくるのですから、相国寺側の思いはいかばかりでしょう。


<永代供養される若冲のお墓>

若冲の絵は「異界への窓」だと書きました。
絵をみていると何か「安定」「安寧」とは違う「引っかかり」を感じるのです。「エッジ」とでもいうのでしょうか。そこには魔力のようなものが潜んでいます。前述の村田氏曰く、「多種の中の異」を描きたかったのではないか。とのことで、それは「秋塘群雀図」の中の一羽だけいる白い雀にもみてとれますし、「薔薇小禽図」の中の無数の中の一輪だけ後ろ向きに描かれている薔薇にもみてとれます。そういういった「エッジ」はどの作品にも随所みうけられます。


<一羽だけ白く描かれた雀>

例えばそれは「多種の中の異」のみならず、独特であり奇抜とも言える構図、リアルでありながら奇妙なフォルムの植物や物質(なかでも雪のまるで生きているがごとくの異様な形は出色です)、生物達の色彩やスタイル。そしてそれら全てが若冲の想像で構成されトリミングされ完璧な一つの世界に仕上がっているのです。


<伊藤若冲《雪中錦鶏図》〈動植綵絵30幅の内〉/宮内庁三の丸尚蔵館蔵>
<若冲の頭の中の雪>

若冲が江戸時代にこのような作品を描いていたから素晴らしいのでは全くなく、彼がもし現代に生きていたとしても恐らく驚嘆される奇想の画家と賞賛されていただろうことに疑いをもちません。それと同時に奇才のデザイナーにもなっていただろうとも思います。奇想や画力やオリジナリティだけでなく、卓越したデザイン力、構成力が画家若冲の奇跡の世界を構成しているのですから。
そのセンスあってこその若冲ワールドの完成なのです。

若冲の作品を観ながら心は感謝の気持ちでいっぱいになりました。でもそれと同時にあっという間に別れが来ることの不安がすぐ心の中を満たしました。例えるなら幻の恋人が突然出現した様なものでしょうか。すごく幸せなのにどこかで別れの寂しさを感じてしまう。恐らく一つの絵だけでも一日中みていても飽きないでしょう、できればあの部屋で暮らしたいくらいです(笑)それだけの気持ちをこちらにおこさせる何かフェロモンのようなものが若冲の作品からは放たれているのだと思います。
少なくとも私はすっかりその虜となっているのでした。

それでは「番外編」につづく・・・
http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20070426/p1

開基足利義満600年忌記念「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」
公式ホームページ
http://jakuchu.jp/jotenkaku/
「若冲と江戸絵画」公式ブログ
http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/

会期: 2007年5月13日(日)〜 6月3日(日)
会場: 相国寺承天閣美術館
開館時間: 午前10時 〜 午後5時
(入館は午後4時半まで)
休館日: 会期中無休
観覧料:   当日券 前売券・団体割引
        一般  1,500円 1,200円
大学生/高校生/65歳以上 1,200円 900円
   中学生/小学生 1,000円 700円

「若冲展」京都で奇跡を観た 概要編


<伊藤若冲《群鶏図》〈動植綵絵30幅の内〉/宮内庁三の丸尚蔵館蔵>

この週末、京都に一泊で行って参りました。
旅の目的は京都の相国寺承天閣美術館で開催される「若冲展」です。


<相国寺 承天閣美術館>


皇室に献納された伊藤若冲の「動植綵絵」30幅が120年ぶりに相国寺に里帰りし、相国寺に納められている釈迦三尊像と再会、全33幅が一つの部屋で一挙公開される奇跡のような展覧会です。
開催期間が非常に短いのですが、これには事情があります。
作品を貸し出す宮内庁より、作品保護の観点からそれだけの日数しか公開することが許されなかったのだそうです。
若冲ファンであるならばこの機会を絶対見逃してはなりません。


<伊藤若冲《牡丹小禽図》〈動植綵絵30幅の内〉/宮内庁三の丸尚蔵館蔵>

もちろん私もここ東京から京都に行くべくプランを練っておりました。
そんな時ちょうど主催者側が「ブログにより本展の発信をしてくれる人」という限定で先行プレビューの公募を発表したのでした。だめもとで応募したところ、幸運にも審査に通ることができ、開催前日に愛して止まない若冲の絵に対面することができたのでした。
ネットによる「クチコミ」の力をこれからは無視できない時代になってきたとの発想から、このような試みが初めて行われることになったのだそうです。
というわけで我々には「15日(火)までにダイアリーをアップ(できれば)してくださいね。」との要望があるのでした。
がっ頑張ります。(昨日遅く帰ってきたので今必至です(笑))

集まったブロガーは総勢15組24名。私たちに与えられた時間は45分です。
展示は二室構成になっていて釈迦三尊像と動植綵絵33幅で一室。
他重要文化財の「鹿苑寺大書院障壁画」新発見作品、その他相国寺ゆかりの関連資料などで一室。
全80点に及ぶ展示になってます。
まず承天閣美術館の学芸員村田隆志さんに動植綵絵、他に今回展示される作品の解説をしていただきました。わかりやすく、興味深い解説で、その後展示を観る際に更に作品を深く観ることができました。
作品内容、展示の感想などはまた「展示編」にて書きたいと思います。


<33幅一挙にならんだ展示会場>


<片面はこのような感じです>

33幅がそろう第二会場に案内された時の感激と感動はちょっと言葉にできないほどでした。
泣きそうになるのを必至でこらえました。
展示の仕方にも関係者の方々のなみなみならぬ、思い入れを感じました。
監修には私の愛読書でもある「奇想の系譜」(若冲ほか奇想の画家達について解説された素晴らしい本です)の作者、辻惟雄氏も本展の監修に携われていたことを後にしりました。


<釈迦三尊像>

相国寺承天閣美術館の第二会場となったこの部屋はそもそもこの美術館の建設時、いつか全33幅が展示されるだろう日を想定して釈迦三尊像を中心に両サイドに15幅展示されるような設計で造られたそうです。建設が昭和59年とのことなので、まさに器は整い長い間その時を待っていた、ことになります。

学芸員の村田さんのお話によれば、釈迦三尊像を中心にどのように30幅を配置するか、色々検討がなされたようです。これについても「展示編」にて書かせていただきたいと思います。

本展はブライスコレクションと同じ所が運営しているようで、恐らく私たちの前(メディア向け、ゲスト向けなど時間枠で先行プレビューが行われていた)のプレビューにいらしていたのだと思われるブライスご夫妻
と会場に向かう途中すれ違いました。(とてもお声をかける勇気がなかった・・・。)

観覧時間は短かったのですが、わずか24名であれだけのものを観ることができた贅沢に心から感謝致したいと思います。
さらに主催者側よりは、図録、メディア用の画像CDロム(私たちには、一定の制約があるものの写真撮影も許されておりました)、ショップのお土産(一筆箋と釈迦三尊像のポストカード)までもいただき、いたれりつくせりでこれはこころして日記をかかねばと思っている次第です。

というわけで、「展示編」「番外編」へなるべく早く「つづ〜くっ!」

<展覧会案内詳細>
開基足利義満600年忌記念「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」
公式ホームページ
http://jakuchu.jp/jotenkaku/

会期: 2007年5月13日(日)〜 6月3日(日)
会場: 相国寺承天閣美術館
開館時間: 午前10時 〜 午後5時
(入館は午後4時半まで)
休館日: 会期中無休
観覧料:   当日券 前売券・団体割引
        一般  1,500円 1,200円
大学生/高校生/65歳以上 1,200円 900円
   中学生/小学生 1,000円 700円

サントリー美術館の懐は広かった 展示編


昨日に引き続き、サントリー美術館 展示編です。
現在行われてる展示は
サントリー美術館開館記念展「日本を祝う」
3月30日〜6月3日
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/index.html
「祥」「花」「祭」「宴」「調」をテーマにサントリー美術館コレクションの中から選りすぐりの作品を展示するというもの。実は最初は「期待はずれなのでは・・・」という思いで出かけて行ったのですが、これが行ってみたら嬉しい予想外で、サントリー美術館の懐、実は広かった・・疑ってごめんねサントリー、でした。

展示は屏風絵、絵画、絵巻、陶器、ガラス器、衣装、染め物、など収蔵は多岐に渡り、興味深い作品ばかりでした。
スペースそのものはそんなに広くないものの、隈氏のセンスの成せる技なのでしょうか、展示室もライティングから空間の取り方など、非常にゆったりとしていて観やすく、それが作品をより良く見せているように思われました。

行ってみて気が付いたのですが、会期の長いこの展示は3回に分かれて展示替えがあるそうで、私が行ったのはすでに2期目の終わりだったのでした。
狩野探幽の屏風絵が非常に観たかったのですが、今回はなく、はたして3期目にこれが展示されるのか・・・。とはいえ二期目の雲谷等璠作「孔雀図屏風」も見応えある素晴らしい作品でした。右に対の孔雀、左には三羽の白孔雀が配され紅白の花々と切り取られた樹々の構図が絶妙のバランスをかもしだしていました。日本の屏風絵の構図の切り方、空間の使い方をみていると、改めてこの金箔をあしらった美しい豪華なスクリーンは先人達にとって「屏風とは一つの『異界への窓』」だったのではないかと思わずにいられません。

そして現代の私も彼らと同じ風景を楽しめることに幸せを感じるのでした。その他にも興味深いもの多数ありました。
概要編でもふれました、伊万里焼きにて造られたオランダ人とオランダ船が描かれた「色絵五艘船文独楽形大鉢」美しい伊万里焼きの菊の文様をあしらった地模様にユーモラスなイラストチックなオランダ人やオランダ船が描かれてます。18世紀頃の作品です。
この頃の日本人にとって南蛮人達は豪華で珍しい物をもたらしてくれる福の神であり、またその船は宝船であったそうです。紋章を模した牡丹の花の図案も人物もとってもセンスがよくって「和」芸術一辺倒の時代にこの絵がかけるなんてちょっとすごい・・と感動しきりでした。

江戸後期に造られたコウモリをデザインした「切子藍色船形鉢」もデザイン性の優れた一品でした。

薩摩切子はわずか20年足らずで栄えて滅んでしまったそうで、かなり貴重な品と思われます。コウモリが黄金バットのように羽を広げたモチーフで船形の一端に、その対には巴紋が。みようによってはコウモリが惑星を抱えているようにも見えます。コウモリはその音より古来から中国では「福」を呼ぶ吉祥だったのだとか。コウモリにそんなポジティブなイメージがあったとは知りませんでした。

能衣装には美しい刺繍がほどこされ、その構図はそのまま掛け軸になりそうな素晴らしさでした。基本的には同じモチーフが描かれているのですが、その手間ひまだけでなく絵画的にも優れた作品でウィリアムモリスよりも刺繍プレミアムもプラスされてこちらの方が私は好きでした。

とてもユニークだったのは16世紀桃山時代の「鼠草子絵巻」という絵巻物です。

「鼠の権頭は人間の姫君と結婚して子孫を畜生道からすくおうとする。けれども結局は婚礼後、姫君に鼠であることがばれてしまい、破局を迎え姫にはにげられてしまう。権頭はショックを受け高野山に出家する。」という御伽草子でユーモラスなその話は当時は大流行したそうです。
絵巻の中に直接マンガのように人物名やセリフが書き込まれています。一部しか紹介されておらず、全部みたい!と思っていたら、なんとミュージアムショップに絵本化されて全容が売り出されてました。かゆいところに手が届く・・・がしかし、図録が重すぎて買うのは断念。今後もチェックしておきたい一品です。
(写真はねずみの権頭、人間の姫君と結婚の巻、セリフがかいてあります)

「三十三間堂通し屋図屏風」17世紀頃のこの作品では当時、堂裏の縁側にて南から北端までの120メートルを24時間で何本射通せるかをきそった祭り事がえがかれています。射手のみならず、その裏方達、後ろで茶をたてるもの、弓矢の用意をするもの、射手側、的側にそれぞれいる紅白の今で言うボンボンのような物をもったチアガール&ボーイ?が描かれていてとても興味深かったです。今週末京都にいくのですが、ぜひ三十三間堂の西の縁側、行ってみなければと思いました。


(三十三間堂通し屋の図、右上に射手が左下に紅白のボンボン隊)

などなど音声ガイドがあるので楽しさも倍増でたのしめた展示でした。